私たちJKKは、情報モラルの啓発活動を行っています。その土台は、子どもたちの心を育むことと考えています。情報モラルを子どもたちに伝える上で、何が大切なのでしょうか?子どもたちに情報モラルを伝える上で根底となるものは「心」であると考えています。
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「本来あるべき姿は何なのか?」が分かっていると、議論しやすいのではないか。 子育てを経験された方がここに3人いらっしゃって、どうなのかを確認しながら進めてはどうか。
私も子育て中です。子供が生まれた時に、先輩から「子供の薬辞典」を買うように言われたが、 結果買わずにネット検索で対応している。この前読んだ本で「スマホ依存」に該当する要件として「何でもネットで検索して調べる」というのがあり「もしかしたら自分もスマホ依存かもしれない」と心配になった。今日の話を聞いていると「バランスが大切」という言う事が分かってきた。 そう考える際にスケール・モノサシがないと分かりにくい。何か指針があればよいと感じる。
スマホ依存は、多分、僕も該当しますよ。
恐らく、かなりの人が該当すると思う。モノサシを示す事ができるのか?モノサシがあるのか?「まだモノサシがありません」と言い切ってしまう方が大切ではないかとも思う。
ある程度ポリシーを持って与えている保護者はよいが、そうではない保護者も多い。今、悩んでいるのはそういう保護者ではないか。「あるべき姿」を求める事も大切だが、あるべき姿がいくつも在ると感じる。先ほどのハフィントンポストの記事にも「過度な利用は控えましょう」とあったが、その「過度」は果たしてどの程度なのか?が人によって揺れる。尺度が違うと、使わせ方にもかなりの違いが出てくる。他力本願というか、提示されたモノを使って考えるのではなく「自分に応じた尺度・モノサシ を自分で決めることができる」というのが一つの提言に繋がるような気がしている。
未就学児に限って言うと、文部科学省が示している幼稚園教育要領が挙げられると思う。5つの 領域「健康」「人間関係」「環境」「言葉」「表現」があり、それぞれについての指導の考えが 示されている。殆どは実体験や五感を通じて土台を育む部分。ICT活用スクールをやっている中でも園児には特に体験を広げる活用を重視している。逆にタブレットにのめり込むような活用はやらないようにしている。
基準・モノサシがないのであれば、一つの具体例から考えていく事もよいのではないか。例えば「スマホで赤ちゃんが泣き止む」確かに子供は静かになる。この時、子供はどういう気持ちなのだろうか?どう考えているのだろうか?悪影響があるかもしれない、と一度踏みとどまって考えてもらう提案も必要だと思う。歴史あるもの、例えば歌舞伎でも「守るべきものと、時代に合わせて変えていくもの」がある。
「何を変えるべきなのかの判断基準」を見極めたからこそ今も続いている。子育ての中で「守るべきもの」「時代に合わせて変えていくもの」の判断基準を考えてもらう事こそが大切なのではないだろうか。そこを分かりやすく表現できたら、考える糸口を見つけられるのではないかと思う。